TNFD開示における保証(アシュアランス)の意義と実践:企業が直面する課題と信頼性確保へのアプローチ
はじめに:高まる情報開示の信頼性確保ニーズ
近年、企業を取り巻く環境変化、特に生物多様性喪失がもたらす事業への影響に関する認識が高まり、その情報開示の重要性が増しています。自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が推奨するフレームワークに基づいた開示は、投資家を含む多様なステークホルダーが企業の自然関連リスク・機会を評価し、適切な意思決定を行う上で不可欠な情報源となりつつあります。
しかし、非財務情報の開示、特に生物多様性のような複雑で定量化が難しい領域に関する情報には、その信頼性や比較可能性に関する課題が伴います。開示された情報が企業の実際の状況を正確に反映し、ステークホルダーの信頼を得るためには、開示プロセスの透明性向上と情報の信頼性確保が喫緊の課題となっています。ここで重要となるのが、開示情報に対する「保証」(アシュアランス)の役割です。
本稿では、生物多様性リスク開示、特にTNFD開示における保証の意義、企業が直面するであろう課題、そして開示情報の信頼性を高めるための実践的なアプローチについて解説します。これは、サステナビリティ推進部のご担当者が、自社の開示情報の質を高め、経営層に対してその重要性を説明し、外部からの信頼を獲得していくための一助となることを目指します。
TNFD開示における保証の意義
企業が自然関連リスク・機会に関する情報を開示する際、その情報の信頼性はステークホルダーの意思決定に大きな影響を与えます。信頼性の低い情報は、ミスリードを招き、かえって企業のレピュテーションリスクを高める可能性もあります。保証は、第三者である専門家(保証人)が、企業の開示情報が定められた基準や原則に従って適切に作成されているかについて独立した立場から評価し、その結論を表明する手続きです。
保証を行う主な意義は以下の点にあります。
- 信頼性の向上: 第三者の視点による検証を経ることで、開示情報の正確性、網羅性、一貫性に対する信頼性が高まります。これにより、投資家やその他のステークホルダーは、開示された情報をより安心して利用できるようになります。
- 透明性の確保: 保証プロセスを通じて、情報の収集、集計、報告に係る企業の内部プロセスやコントロールの適切性が評価されます。これにより、開示情報の算出根拠や作成プロセスがより透明になります。
- 比較可能性の促進: 業界標準や保証基準に準拠した保証を受けることで、異なる企業間の情報比較がある程度容易になり、資本市場における効率的な資源配分に貢献します。
- 企業の内部統制強化: 保証の準備プロセスは、企業内の関連情報収集・管理体制や内部統制の状況を再評価・改善する機会となります。
特にTNFDのような新しいフレームワークに基づく開示においては、評価手法やデータ収集の標準化が進んでいない部分もあります。このような状況下で保証を受けることは、開示情報の質に対する企業自身のコミットメントを示す強いメッセージとなります。
企業がTNFD開示の保証に関して直面する課題
TNFD開示情報の保証は、財務情報や既存の非財務情報(例:温室効果ガス排出量)の保証とは異なる、いくつかの特有の課題を企業にもたらす可能性があります。
- データの複雑性と不確実性: 生物多様性や生態系サービスに関するデータは、地理的、時間的に多様であり、収集・測定が困難な場合が多いです。また、将来のリスク予測などにはinherentな不確実性が伴います。これらの複雑なデータをどのように標準化し、保証可能なレベルで管理するかが課題となります。
- 評価手法の多様性と進化: 自然関連リスク・機会の評価手法は現在も進化途上にあり、企業によって採用する手法やモデルが異なる可能性があります。保証人は、これらの多様な手法の適切性を評価する必要がありますが、標準化された評価基準が確立されていないため、その判断は容易ではありません。
- サプライチェーン情報の収集と検証: 生物多様性リスクの多くはサプライチェーン上流に存在します。広範で複雑なサプライチェーンにおける影響評価に必要なデータを、どのように収集し、その信頼性を検証するかは、多くの企業にとって大きな課題です(サプライチェーンにおけるScope 3排出量算定の課題とも類似しています)。
- 専門知識を持つ保証機関の不足: 自然科学、生態学、地理情報システム(GIS)、特定の産業における生物多様性影響評価など、TNFD開示情報の保証には高度な専門知識が求められます。これらの専門知識と保証実務の双方に精通した保証人の育成や確保が、今後の課題として考えられます。
- 保証基準の進化途上性: 非財務情報の保証に関する国際的な基準(例:ISAE 3000)は存在しますが、生物多様性や自然関連情報に特化した詳細な保証基準はまだ発展段階にあります。今後、具体的な保証実務を通じて基準が洗練されていくことが期待されます。
- コストとリソース: 保証を受けるためには、保証料だけでなく、保証対応のための社内リソース(データ準備、担当者対応など)が必要となります。特に初期段階では、これらのコスト負担が課題となり得ます。
開示情報の信頼性確保に向けた実践的アプローチ
企業がTNFD開示情報の信頼性を高め、将来的な保証に備えるためには、以下の点に戦略的に取り組むことが推奨されます。
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内部管理体制の強化:
- 自然関連情報の収集、評価、報告プロセスに関する明確な方針、手順、責任体制を確立します。
- 関連部署(サステナビリティ、環境、財務、法務、サプライチェーン、研究開発など)間での連携を強化し、情報共有と確認の仕組みを構築します。
- データの入力、集計、管理における誤りを防ぐための内部統制を設計・運用します。
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データの質向上と透明性確保:
- 可能な限り、信頼性の高いデータソース(公的機関、専門機関、学術論文など)を利用します。
- 使用したデータソース、前提条件、算出方法などを明確に開示し、透明性を高めます。
- データ収集範囲(例:対象事業、地理的範囲、サプライチェーンのスコープなど)を明確に定義します。
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評価手法の選択と文書化:
- リスク・機会評価に使用する手法(例:ロケーションベース評価、バリューチェーン評価、シナリオ分析など)の選択理由を明確にします。
- 評価プロセスや使用したモデル、ツール、前提条件などを詳細に文書化し、再現性や検証可能性を高めます。
- 最新のガイダンスやベストプラクティス(例:TNFDガイダンス、関連国際基準など)を参照し、評価手法の適切性を常に検証します。
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保証機関との早期連携:
- 早い段階から保証機関とコミュニケーションを取り、保証対象範囲、保証レベル(限定的保証か合理的保証か)、保証基準、企業の準備状況などについて相談します。
- 保証機関の専門知識を活用し、データ収集・管理プロセスや評価手法に関する示唆を得ることも有効です。
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段階的な保証の検討:
- 開示初年度からすべての情報に対して合理的保証を受けることは難しい場合があります。まずは特定の領域(例:リスク評価プロセス、特定の重要拠点における依存・影響評価など)に対する限定的保証から開始し、徐々に保証範囲やレベルを拡大していくアプローチも現実的です。TNFDも開示初年度は限定的保証で十分な場合があることを示唆しています。
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社内担当者の知識向上:
- 非財務情報保証に関する基本的な知識に加え、生物多様性や生態系サービス、関連評価手法に関する専門知識を社内担当者が習得することも、保証準備を円滑に進める上で役立ちます。
結論:信頼できる開示がもたらす企業価値
生物多様性喪失は、物理的リスク、移行リスク、レピュテーションリスクなど、企業活動に多岐にわたる影響を及ぼす深刻な課題です。TNFDなどのフレームワークに基づいた適切な情報開示は、これらのリスクを経営層やステークホルダーが理解し、適切な対策を講じるための基盤となります。
そして、その開示情報の信頼性を保証によって高めることは、単なる形式的な手続きではなく、企業のガバナンス体制の成熟度を示し、外部からの信頼獲得、資金調達における優位性確保、そして長期的な企業価値向上に不可欠な要素となりつつあります。
生物多様性に関する情報は複雑で扱いにくい側面もありますが、サステナビリティ推進部のご担当者にとっては、これらの課題を克服し、信頼できる情報開示体制を構築することが、経営層への説明責任を果たす上で、また企業として環境変化に適応し、持続的な成長を遂げる上で、ますます重要になってくるでしょう。今後の基準進化や保証市場の動向にも注視しながら、着実に準備を進めていくことが求められます。