サプライチェーン全体で進める生物多様性リスク低減:実践事例と効果的なアプローチ
サプライチェーンにおける生物多様性リスク低減の重要性
近年の気候変動や生物多様性の喪失は、企業の事業継続性にとって喫緊の課題となっています。特に、グローバルに展開する製造業にとって、原材料調達から製造、物流、販売に至る複雑なサプライチェーンは、生物多様性関連リスクの潜在的な発生源であり、同時に大きな影響を受ける脆弱な要素でもあります。多くの企業では、自然関連財務情報開示フレームワーク(TNFD)などのガイダンスに基づき、リスク・機会の特定や評価が進められていますが、その次の段階である「具体的なリスク低減策の実行」や「事業戦略への統合」に課題を感じている担当者の方も少なくないかと存じます。
サプライチェーンにおける生物多様性リスクは多岐にわたります。例えば、原材料の過剰な採取や生産地での生態系破壊は、将来的な資源枯渇や調達コスト上昇といった物理的リスクに直結します。また、環境規制の強化や消費者の意識変化は、サプライヤーとの関係性や製品需要に影響を与える移行リスクやレピュテーションリスクとなり得ます。これらのリスクを効果的に管理し、事業のレジリエンスを高めるためには、サプライチェーン全体での生物多様性リスク低減に向けた具体的な行動が不可欠です。
本記事では、サプライチェーンにおける生物多様性リスクを低減するための具体的なアプローチと、その実践に向けた考え方について解説します。
サプライチェーン各段階での具体的なリスク低減アプローチ
サプライチェーン全体での生物多様性リスク低減は、単一の部署や取り組みだけでは実現できません。原材料調達、製造工程、物流、製品設計など、各段階での連携と具体的な対策が必要です。
1. 原材料調達におけるアプローチ
サプライチェーンの上流、特に農産物、林産物、水産物、鉱物などの一次産品に由来する原材料は、その生産プロセスが直接的に生態系に影響を与える可能性が高いため、最も重要な焦点の一つとなります。
- 持続可能な調達基準の設定と運用: 森林認証(FSC、PEFC)、持続可能な漁業認証(MSC、ASC)、持続可能な農業基準(RSPO、UTZ/Rainforest Alliance)など、信頼性のある第三者認証制度を活用し、環境負荷の低い原材料を優先的に調達する方針を定めます。特定の地域生態系への負荷が大きい原材料については、代替素材への切り替えや調達量の上限設定なども検討されます。
- トレーサビリティの強化: 原材料の生産地や生産方法を追跡できるトレーサビリティシステムを構築・強化します。これにより、リスクの高い地域やサプライヤーを特定し、改善を促すためのエンゲージメントが可能となります。近年のデジタル技術(ブロックチェーンなど)の活用により、トレーサビリティの精度と効率を高める試みも進んでいます。
- サプライヤーとの協働とキャパシティビルディング: サプライヤーに対して、生物多様性保全の重要性に関する意識向上研修を実施したり、持続可能な生産方法への転換を支援したりします。単に基準を課すだけでなく、共に解決策を探る姿勢が重要です。ある食品メーカーでは、主要な農産物のサプライヤーに対し、土壌管理や水資源保全に資する農法の導入を支援するプログラムを展開しています。
2. 製造工程におけるアプローチ
自社工場や協力工場の製造工程においても、生物多様性への影響を低減する機会は存在します。
- 水資源管理の最適化: 工業用水の使用量削減、排水の水質改善、工場周辺の水生態系への配慮など、地域ごとの水ストレスに応じた管理を徹底します。世界資源研究所(WRI)のAqueduct™ツールのような情報源を活用し、水リスクの高い拠点を特定することが有効です。
- エネルギー利用の効率化と再生可能エネルギーへの転換: 化石燃料に依存したエネルギー利用は気候変動を加速させ、間接的に生態系に影響を与えます。省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーへの転換は、生物多様性リスクの低減にも寄与します。
- 廃棄物管理と循環経済への移行: 生産工程で発生する廃棄物の削減、リサイクル、アップサイクルを推進し、資源の循環利用を進めます。これにより、新規資源の採取に伴う生態系負荷を抑制します。
3. 物流・販売におけるアプローチ
製品の輸送や販売方法も、生物多様性へ影響を与え得ます。
- 効率的な輸送ルートと手段の選択: 輸送距離の短縮や、CO2排出量の少ない輸送手段(海上輸送、鉄道輸送など)の利用を優先します。梱包材の削減や環境配慮型素材への切り替えも重要な取り組みです。
- 生態系への影響を最小限に抑える流通・販売方法: 特定の地域生態系に配慮した物流センターの配置や、環境負荷を考慮した店舗設計などが含まれます。
4. 製品設計におけるアプローチ
製品の企画・設計段階から、そのライフサイクル全体での生物多様性への影響を考慮することが、抜本的なリスク低減に繋がります。
- 環境配慮設計(DfE: Design for Environment): リサイクルしやすい素材の使用、有害物質の排除、製品の長寿命化、分解可能な素材の利用などを設計段階から組み込みます。
- バイオミミクリーの活用: 生物の構造や機能を模倣した技術開発は、新たなイノベーションを生み出すだけでなく、より自然と調和した製品やプロセスを生み出す可能性を秘めています。
実践に向けた効果的なアプローチと企業事例
これらの具体的な低減策をサプライチェーン全体で実効性のあるものとするためには、以下の視点が重要です。
- トップマネジメントのコミットメントとガバナンス体制: 生物多様性リスク低減を経営の重要課題として位置づけ、担当部門だけでなく、購買、製造、研究開発、営業など関連部門横断での推進体制を構築します。ある国際的な消費財メーカーでは、役員レベルの委員会がサプライチェーンにおける生物多様性目標の進捗を定期的にレビューしています。
- データに基づいた優先順位付け: サプライチェーン全体を網羅的に管理することは困難なため、生物多様性への影響が大きい拠点や原材料、サプライヤーを特定し、優先的にリソースを投入することが効率的です。TNFDのLEAPアプローチのようなフレームワークや、専門機関が提供するリスク評価データセットを活用します。
- サプライヤーとの継続的なエンゲージメントと能力強化: サプライヤーを単なる取引先としてではなく、生物多様性保全における重要なパートナーと位置づけ、対話と協力を深めます。共同での研修プログラムや技術支援などが有効です。ある電子機器メーカーは、紛争鉱物リスクへの対応で培ったサプライヤーエンゲージメントの仕組みを、水リスクや生物多様性リスクの評価・低減にも応用しています。
- ステークホルダーとの協働: NGO、地域コミュニティ、政府機関、学術機関など、多様なステークホルダーとの協働は、サプライチェーン全体での課題解決や、地域レベルでの具体的な保全活動への貢献に繋がります。複数の企業が連携して、特定の重要生態系における共通のサプライチェーン課題に取り組む業界イニシアチブも有効です。
- 目標設定と進捗管理: 定量的または定性的な生物多様性目標(例: 認証材の調達比率向上、水使用量削減率、生態系保全プロジェクトへの投資額など)を設定し、定期的に進捗をモニタリング・評価し、改善につなげます。設定した目標は、関連する国際的な目標(例: SDGs、Kunming-Montreal Global Biodiversity Framework)とも整合性を持たせることが望ましいです。
経営層への説明と機会の創出
サプライチェーンにおける生物多様性リスク低減への投資は、単なるコストではなく、長期的な事業の安定と成長に不可欠な要素であることを経営層に説明することが重要です。
- リスク回避・低減によるメリット: 資源枯渇リスクの回避、調達コストの安定化、規制強化への対応、レピュテーション向上によるブランド価値向上など、具体的な財務・非財務メリットを明確に伝えます。
- 新たな機会の創出: 環境配慮型製品の開発による新規市場開拓、効率的な資源利用によるコスト削減、強固なサプライヤー関係構築による事業レジリエンス向上、ポジティブな企業イメージによる優秀な人材確保など、生物多様性への配慮がもたらす機会も同時に提示します。例えば、ある繊維メーカーは、リサイクル素材や環境再生型農法で生産されたコットンを使用した製品ラインを拡充し、新たな顧客層を獲得しています。
まとめ
サプライチェーン全体での生物多様性リスク低減は、複雑で挑戦的な課題ですが、事業の持続可能性と競争力強化のために不可欠な取り組みです。原材料調達、製造工程、物流、製品設計の各段階で具体的なアプローチを講じるとともに、トップマネジメントの強力なリーダーシップの下、データに基づいた優先順位付け、サプライヤーや多様なステークホルダーとの協働を進めることが成功の鍵となります。
今後は、生物多様性に関する科学的知見の深化や技術の進展により、サプライチェーンにおける影響評価や低減策の効果測定もより高度化していくことが予想されます。製造業のサステナビリティ推進を担う皆様には、これらの最新情報を常に把握し、自社のサプライチェーンにおける生物多様性リスク低減に向けた戦略を継続的に進化させていくことが求められています。