未来リスク Insight

大手製造業の海外拠点における生物多様性リスク管理:地域特性を踏まえた評価と対応戦略

Tags: 海外事業, 生物多様性リスク, リスク管理, 地域特性, 製造業

はじめに:グローバル展開における生物多様性リスクの特殊性

近年、企業の持続可能性経営において、気候変動と並び生物多様性喪失への対応が喫緊の課題として認識されるようになりました。特にグローバル展開する大手製造業にとって、海外事業拠点が直面する生物多様性リスクは、国内とは異なる複雑性と重要性を持ちます。各国の多様な生態系、独自の法規制、そして地域社会との関係性は、事業活動に予測困難な影響を与える可能性を秘めています。

本記事では、大手製造業のサステナビリティ推進ご担当者様が、海外事業拠点における生物多様性リスクをどのように特定・評価し、効果的な管理・対応戦略を構築すべきかについて、実践的な視点から解説いたします。

海外事業拠点特有の生物多様性リスク

海外の事業拠点が直面する生物多様性リスクは、主に以下の点で国内拠点のリスクと性格を異にします。

1. 地域固有の生態系と依存度・影響度

海外拠点が立地する地域は、しばしば固有の生態系や希少種が存在する場合があります。水源林、湿地帯、珊瑚礁、熱帯雨林など、その地域特有の生態系サービスへの事業の依存度が高かったり、事業活動がこれらの脆弱な生態系に与える影響が大きかったりする可能性があります。例えば、特定の水源に依存する工場がある場合、その水源涵養林の劣化は直接的な操業リスクとなります。世界自然保護基金(WWF)などの報告書は、特定の産業が依存する生態系サービスの脆弱性を指摘しています。

2. 多様な法規制と政策動向

国や地域によって生物多様性に関する法規制や政策は大きく異なります。特定の生態系の保護指定、外来種管理の義務、環境影響評価の要件、土地利用規制などが存在し、これらが事業活動の自由度やコストに影響を与えます。また、国際的な合意(生物多様性条約など)を受けた国内法の改正や、EUにおける自然関連規制の強化といった動向も注視する必要があります。

3. 地域社会とステークホルダーの多様性

海外拠点では、現地のNGO、先住民族、地域住民といった多様なステークホルダーとの関係性が重要になります。これらのステークホルダーは、現地の生態系や伝統的な土地利用に対する強い関心や権利を持つ場合があります。事業活動が地域社会の生態系利用や文化に影響を与えた場合、強い反対運動や訴訟リスクに発展する可能性があります。これはレピュテーションリスクや操業リスクに直結します。

海外拠点における生物多様性リスク評価の実践ステップ

海外拠点の生物多様性リスクを適切に評価するためには、地域特性を踏まえたアプローチが必要です。

ステップ1:拠点およびサプライチェーンにおける依存度・影響度の特定

まず、各海外拠点およびそのサプライチェーンが、どのような生態系サービスに依存し、どのような生物多様性に影響を与えているかを特定します。これはTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)フレームワークにおける「Locate(特定)」および「Evaluate(評価)」の初期段階にあたります。現地の専門家やコンサルタントと連携し、拠点周辺の生態系情報、水源の状況、原材料調達地の生態系リスクなどを調査します。

ステップ2:地域特性を踏まえたリスクの種類と深刻度の評価

特定された依存度・影響度に基づき、物理的リスク(水不足、原材料供給の不安定化など)、移行リスク(規制強化、市場の変化)、レピュテーションリスク(不買運動、ブランドイメージ毀損)、法規制リスク(罰金、操業停止命令)といった具体的なリスクを評価します。この際、ステップ1で収集した地域固有の情報(希少種の存在、保護区との近接性、現地の法規制の詳細、主要ステークホルダーの関心事など)を深く考慮し、リスクの発生確率と潜在的な影響の深刻度を評価することが重要です。現地の法規制リスクについては、現地の弁護士事務所など専門家からの助言が不可欠です。

ステップ3:事業への財務的・非財務的インパクトの分析

評価されたリスクが、操業コストの増加、売上減少、資産価値の低下、ブランド価値の毀損といった形で事業にどのような財務的・非財務的なインパクトを与えるかを分析します。これは、リスクを経営層に説明し、経営判断に繋げる上で非常に重要なプロセスです。定量化が難しい場合でも、シナリオ分析などを活用し、潜在的な影響の大きさを具体的に提示する工夫が必要です。

効果的なリスク管理・対応戦略

評価に基づき、海外拠点特有のリスクに対応するための戦略を構築します。

1. 地域社会・専門家との連携強化

現地のNGO、学術機関、地域住民、自治体などとの対話を通じて、地域固有の生物多様性に関する知見を深め、信頼関係を構築することが不可欠です。共同での生態系保全プロジェクトの実施や、現地の専門家をアドバイザーとして招くことも有効です。

2. サプライヤーへの働きかけと共同でのリスク低減

海外サプライヤーが事業を行う地域も同様のリスクに直面している可能性があります。サプライヤーとのコミュニケーションを強化し、生物多様性リスク評価の手法や、リスク低減のためのベストプラクティスを共有することが求められます。業界横断での取り組みや、サプライヤー向けの研修プログラムなども有効な手段となり得ます。

3. 地域固有の生態系保全・回復への貢献

事業活動による影響を緩和・回避するだけでなく、現地の生態系保全や回復に積極的に貢献する機会を模索します。例えば、事業所の緑地管理における在来種の使用、水源地の保護活動への参加、地域社会と連携した森林保全プロジェクトへの投資などです。これは単なるリスク対応にとどまらず、地域社会からの信頼獲得やレピュテーション向上にも繋がります。

4. 法規制遵守と政策エンゲージメント

各国の生物多様性関連法規制を正確に理解し、遵守体制を徹底します。加えて、関連する政策形成プロセスに関与し、建設的な提言を行うことも、移行リスクの管理や事業環境の安定化に貢献する可能性があります。

5. グローバルな情報共有と管理体制の構築

各海外拠点で得られたリスク評価や対応策に関する知見を、企業全体で共有する仕組みを構築します。生物多様性リスク管理に関する推進組織を本社に置き、各拠点の担当者との連携を強化することが、グローバルレベルでのリスク管理体制の強化に繋がります。

経営層への説明と情報開示

海外拠点特有の生物多様性リスクとその対応状況を経営層に説明する際には、地域固有のリスクがグローバルな事業ポートフォリオ全体に与える影響、そしてリスク対応が企業価値(財務的・非財務的)にどのように貢献するかを明確に伝えることが重要です。TNFDなどのフレームワークを活用し、開示可能な情報として整理することも、投資家やその他のステークホルダーからの信頼を得る上で有効です。

まとめ:地域に根差したリスク管理の重要性

大手製造業の海外事業拠点における生物多様性リスク管理は、その地域固有の自然環境、法規制、社会構造を深く理解することから始まります。画一的なアプローチではなく、現地の専門家やステークホルダーと緊密に連携しながら、依存度・影響度を詳細に評価し、地域特性に合わせたリスク対応戦略を構築することが成功の鍵となります。

これは単にリスクを回避するためのコストではなく、地域社会との共生を通じて事業のレジリエンスを高め、新たな事業機会を創出し、企業全体の持続可能性を高めるための重要な投資と捉えるべきです。グローバル企業として、地球全体の生物多様性保全に貢献するという視点を持ちながら、各拠点における実践を進めていくことが求められています。