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自然資本リスクと企業価値:製造業における評価と経営戦略への統合

Tags: 自然資本, 企業価値, リスク評価, 経営戦略, 製造業

自然資本リスクが製造業の企業価値に与える影響と経営統合の重要性

近年、生物多様性の喪失をはじめとする環境変化は、企業経営における重要なリスク要因として認識されるようになりました。特に、自然がもたらす恩恵である「自然資本」の劣化は、製造業にとって看過できない影響を及ぼし、企業価値に直接的あるいは間接的に影響を与え得るものです。サステナビリティ推進担当者の皆様は、こうした自然資本リスクをどのように評価し、そのビジネスインパクトを経営層に説明し、戦略に統合していくかという課題に直面されていることと存じます。

本稿では、自然資本が製造業の企業価値にどのように関連するのか、自然資本リスクがもたらす具体的な影響、そしてこれらのリスクを適切に評価し、経営戦略へ統合するための視点について解説いたします。

自然資本と企業価値の関係性

自然資本とは、水、土壌、大気、森林、海洋といった自然資源や、これらが相互に関係し合うことで生み出される生態系機能を指します。製造業は、原材料の調達、水の利用、エネルギー消費、土地利用など、様々な形で自然資本に依存しています。また、事業活動が自然資本に影響を与える(負荷をかける)側面も持ち合わせています。

自然資本が健全に機能していることは、以下のような形で企業の事業活動や価値創造を支えています。

この自然資本が劣化・枯渇すること、すなわち自然資本リスクが顕在化することは、上記のような企業価値創造の基盤を揺るがすことにつながります。

自然資本リスクがもたらす具体的な事業影響

自然資本リスクは、従来の環境リスク評価とは異なる視点から、企業価値に様々な影響を及ぼします。主な影響として、以下の点が挙げられます。

  1. 物理的リスク: 自然資本の劣化そのものが事業活動に直接的な損害を与えるリスクです。例えば、森林破壊による土砂災害リスクの増加、水源地の枯渇による工業用水確保の困難化、海洋生態系の劣化による漁業資源の減少(食品メーカーへの影響)、土壌劣化による農作物の不作(食品・繊維メーカーへの影響)などが含まれます。サプライチェーンの上流で発生した物理的リスクが、原材料価格の高騰や供給途絶として企業に影響するケースも考えられます。

  2. 移行リスク: 自然資本の喪失や劣化に対応するための社会・経済システムの移行に伴って発生するリスクです。具体的には、生物多様性保全や自然資本回復に向けた新たな法規制の導入(土地利用制限、排出規制の強化など)、関連税制の変更(生態系サービスへの課税など)、技術開発・導入コストの増加、市場の変化(持続可能な調達への需要増加)、投資家からの要求などが含まれます。これらの変化への対応遅れは、事業継続コストの増加や競争力の低下を招く可能性があります。

  3. レピュテーションリスク: 企業活動が自然資本に与える負の影響や、自然資本リスクへの対応不足が明らかになることによる企業イメージやブランド価値の低下リスクです。NGOや地域社会からの批判、消費者による不買運動、メディアでのネガティブな報道などが考えられます。特にサプライチェーンにおける環境問題は、最終製品メーカーのレピュテーションに大きな影響を与える可能性があります。

  4. 法規制リスク: 生物多様性や自然資本に関する国内外の法規制の強化や変更に対応できないリスクです。新規事業の許認可取得の遅延や不可能化、既存事業における罰金の支払い、操業停止命令などが含まれます。ポスト2020生物多様性枠組(GBF)を受けた各国の政策動向は、製造業の海外拠点を含めた事業活動に新たな制約や要求をもたらす可能性があり、注意が必要です。

これらのリスクは複合的に発生し、生産コストの増加、売上高の減少、資産価値の下落、資金調達コストの上昇など、具体的な財務インパクトとして企業価値に影響を与える可能性があります。

自然資本リスク・機会の評価と経営戦略への統合

自然資本リスクを企業価値に関連付けて捉え、経営戦略に統合するためには、体系的な評価プロセスが不可欠です。TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)などのフレームワークは、このプロセスをガイドする有効なツールとなります。

評価の基本的なステップとしては、以下が挙げられます。

  1. 特定(Identify): 自社の事業活動(直接操業、サプライチェーン、ファイナンス)が依存し、影響を与えている自然資本およびそれに関連するリスクと機会を特定します。地理的範囲や事業特性に応じた自然資本への依存度・影響度を評価します。特定の水源への依存、特定の生態系からの原材料調達、土地利用の規模などが評価の対象となります。
  2. 評価(Assess): 特定された自然関連リスク・機会について、事業への影響度や発生可能性を評価します。データに基づく定量的な評価が望ましいですが、情報の制約がある場合は定性的な評価から開始します。生態系サービスの評価ツールや、自然資本に関するデータベース(例えば、Integrated Biodiversity Assessment Tool (IBAT)など)の活用も検討されます。評価においては、気候変動や水リスクなど、他の環境リスクとの相互関連性も考慮することが重要です。
  3. 管理(Manage): 評価されたリスクを低減し、機会を最大化するための戦略と対策を策定・実行します。例えば、サプライチェーンにおける持続可能な調達基準の導入、工場での水使用量削減や排水管理の強化、生態系回復プロジェクトへの参画、自然を基盤としたソリューション(NbS: Nature-based Solutions)の導入などが考えられます。リスク管理計画には、目標設定とKPI設定を含めることが効果的です。
  4. 開示(Disclose): 特定、評価、管理のプロセスで得られた情報を、投資家をはじめとするステークホルダーに対して適切に開示します。TNFD提言に沿った開示は、透明性を高め、企業の自然資本リスクへの対応状況を示す上で有効な手段となります。

これらのステップを通じて得られた評価結果は、単に報告書を作成するためのものではなく、経営層の意思決定に資する形で提示されるべきです。自然資本リスクが将来の収益性、コスト構造、資産価値、資本コストなどにどのような影響を与えうるのか、財務的な視点からの分析やシナリオ分析の結果を併せて説明することが、経営層への納得感につながります。製造業においては、特定の原材料サプライヤーや生産拠点が生態系劣化のホットスポットに位置していないか、代替が困難な生態系サービスに過度に依存していないか、といった具体的な脆弱性を特定し、そのリスクが顕在化した場合の事業継続計画や投資判断への影響を明確に示すことが求められます。

経営戦略への統合とは、自然資本への配慮を、単なるCSR活動やコンプライアンス対応に留めるのではなく、製品開発、生産体制、サプライチェーン戦略、M&A判断、リスクマネジメントプロセス、さらには財務計画といった企業の主要な意思決定プロセスに組み込むことを意味します。製造業における取り組み事例では、製品設計段階で環境負荷の少ない素材を選択したり、生産拠点の立地選定において地域の生態系への影響を評価したり、サプライヤー評価基準に生物多様性への配慮を組み込んだりするなど、具体的なアクションとして展開されています。

結論:自然資本の視点を経営に組み込むことの重要性

生物多様性の喪失に代表される自然資本の劣化は、もはや遠い環境問題ではなく、企業の事業継続性や競争力、ひいては企業価値に直接影響を与える経営リスクです。製造業においては、広範なサプライチェーンと多様な自然資本への依存・影響が存在するため、そのリスクはより複雑かつ広範に及びます。

自然資本リスクを適切に評価し、そのビジネスインパクトを明確に経営層に伝えることは、サステナビリティ推進部門の重要な役割です。評価結果を基に、事業戦略やリスク管理体制に自然資本の視点を統合していくことは、リスクを低減するだけでなく、新たなビジネス機会の創出や、持続可能な企業価値の向上に貢献します。

今後、自然資本に関する情報開示の要請や、関連技術の進展はさらに加速することが予想されます。最新の知見や評価手法を取り入れつつ、自社の事業特性に合わせた自然資本リスク評価と経営統合を着実に進めていくことが、変化の激しい現代において企業が競争力を維持し、持続的に発展していくための鍵となるでしょう。