自然関連リスク管理を組織全体に浸透させるには:大手製造業のための横断的推進と部署連携の戦略
はじめに:なぜ自然関連リスク管理には組織全体の取り組みが必要か
近年、気候変動リスクと同様に、生物多様性の喪失や生態系サービスの劣化といった自然関連リスクに対する企業の関心が高まっています。これらのリスクは、単に環境問題として捉えられるだけでなく、サプライチェーンの混乱、原材料価格の高騰、物理的資産への損害、法規制の強化、そして企業評価の低下といった、具体的な社会・経済的影響として顕在化し始めています。投資家や規制当局からの開示要求も強化されており、企業は自然関連リスクを適切に評価・管理し、その情報を開示することが求められています。
大手製造業にとって、自然関連リスクは特に重要です。複雑なグローバルサプライチェーンを持ち、広範な原材料を利用し、多様な製造プロセスを経て製品を市場に供給する事業形態は、自然環境の変化に対して脆弱な側面を持ちます。サステナビリティ推進部が中心となってリスク評価を進めることは重要ですが、自然関連リスクの潜在的な影響範囲は非常に広く、調達、生産、研究開発、財務、販売など、事業部門全体に及びます。そのため、リスク管理の実効性を確保するには、組織横断的な取り組みが不可欠となります。
しかし、これを実践に移すことは容易ではありません。各部署の担当者が自然関連リスクに関する専門知識を持つとは限らず、日々の業務の中でこの課題をどのように位置づけ、対応すべきか判断に迷うことも少なくありません。また、部署間の優先順位の違いやコミュニケーション不足により、取り組みが一部に留まり、組織全体に浸透しないといった課題も生じがちです。
この記事では、大手製造業が自然関連リスク管理を組織全体に浸透させるための課題を掘り下げ、横断的な推進体制の構築と、部署連携を強化するための具体的な戦略について考察します。
組織全体に自然関連リスク管理を浸透させる上での課題
自然関連リスク管理を組織全体で推進する際には、いくつかの共通する課題が存在します。
- 意識と理解のギャップ: サステナビリティ推進部以外の部署では、自然関連リスクが自身の業務や事業にどのような具体的な影響を与えるのか、十分に理解されていない場合があります。「環境問題」としてのみ捉えられ、ビジネスリスクとしての切迫感が共有されていないことが、取り組みの推進を妨げる要因となります。
- 専門知識の不足: 自然科学や生態系に関する専門的な知見は、サステナビリティ担当者以外にとっては馴染みが薄いことが多く、リスク評価や対策の検討において困難を伴います。
- 担当範囲の不明確さ: 自然関連リスクへの対応は、特定の部署単独で完結することが難しく、複数の部署にまたがる責任範囲が曖昧になりがちです。特にサプライチェーン全体のリスク評価などは、調達部門、SCM部門、サステナビリティ推進部など、複数の部署の連携が不可欠ですが、その役割分担が明確でないと、取り組みが進みにくくなります。
- 経営層への説明困難性: リスク評価の結果や対策の必要性を経営層に説明する際、専門的な情報をビジネスインパクトに翻訳し、経営判断に繋がる形で提示することが求められます。この「翻訳」が難しく、経営層の理解とコミットメントを得る障壁となることがあります。
- 既存の業務プロセスとの統合: リスク評価や管理のプロセスを、既存の事業計画策定プロセス、リスク管理プロセス、サプライヤー評価プロセスなど、日々の業務の中にどのように組み込むかという点も課題です。新たなプロセスを導入することは、現場の負担増と捉えられかねません。
横断的な推進体制の構築
これらの課題に対処し、自然関連リスク管理を組織全体に浸透させるためには、明確な推進体制の構築が重要です。
- 経営層のコミットメント: 最高経営責任者(CEO)を含む経営層が、自然関連リスクを重要な経営課題として認識し、組織全体での取り組みを牽引する強い意思を示すことが最も重要です。取締役会レベルでの監督体制を構築することも有効です。
- 推進組織の役割強化: サステナビリティ推進部などが、組織全体の取り組みをコーディネートする中心的な役割を担います。各部署のキーパーソンと連携し、情報共有のハブとなり、専門的なサポートを提供します。
- 部門横断チームの設置: 主要な部署(調達、生産、研究開発、財務、リスク管理など)からメンバーを集めた部門横断的なタスクフォースや委員会を設置します。これにより、情報共有が促進され、共通理解の醸成が図られます。
- 各部署における担当者の明確化: 各部署内に、自然関連リスクに関する窓口担当者や推進リーダーを配置します。これにより、部署内での情報伝達や、推進組織との連携がスムーズになります。
部署連携を促進する具体的な戦略
推進体制を構築した上で、実効性のある部署連携を促進するための戦略を講じます。
- 共通理解の醸成と研修: 自然関連リスクの重要性、自社事業との関連性、そして組織として取り組む意義について、全従業員、特に各部署の担当者向けに、対象者や部署の役割に合わせた研修やワークショップを実施します。具体的な事業事例や、自身の業務との繋がりを明確に示すことで、主体的な関与を促します。ある調査によれば、従業員のエンゲージメントは取り組みの成功に不可欠であると指摘されています。
- 情報共有プラットフォームの構築: 自然関連リスクに関する最新情報、評価ツール、社内ガイドラインなどを共有するためのプラットフォーム(社内ポータル、共有データベースなど)を整備します。これにより、部署間で必要な情報にアクセスしやすくなります。
- 評価・インセンティブへの連動: 自然関連リスク管理への貢献度を、個人の人事評価や部署の業績評価に反映させることを検討します。これにより、取り組みの重要性を組織内に強く認識させ、積極的な行動を促すことができます。
- パイロットプロジェクトの実施: 全体展開の前に、特定の事業所やサプライチェーンの一部において、自然関連リスク評価・管理のパイロットプロジェクトを実施します。これにより、実践的な課題を特定し、成功事例やノウハウを蓄積することができます。得られた知見は、全体展開の際のガイドライン作成や研修内容に反映させます。
- ステークホルダーとの対話の活用: サプライヤー、顧客、NGO、地域社会といった外部ステークホルダーとの対話を、組織内の意識改革や連携促進に活用します。外部からの期待や懸念を共有することで、自然関連リスクへの取り組みの重要性を再認識することができます。
- TNFDなどのフレームワークの活用: 自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が提供するフレームワークは、リスクと機会の特定、評価、管理、開示のプロセスを示しており、組織内の議論を構造化し、共通言語で対話するための有効なツールとなります。LEAPアプローチなどの評価プロセスを共有することで、異なる部署間でも協力して作業を進めやすくなります。
業種別・部署別の連携例
具体的な連携は、企業の業種や事業内容、そして部署の機能によって異なりますが、いくつかの例を挙げます。
- 調達部門: サプライヤーのリスク評価に生物多様性関連の項目を組み込みます。サステナビリティ推進部と協力し、サプライヤー向けのガイドライン作成や能力開発支援を行います。
- 生産部門: 製造プロセスにおける水資源利用や排水管理が生態系に与える影響を評価し、改善策を検討します。地域社会や環境部門と連携し、工場敷地内や周辺での生物多様性保全活動を実施します。
- 研究開発部門: 製品開発や技術開発において、自然環境への負荷を低減する代替材料の検討や、生態系サービスを活用した技術(バイオミミクリーなど)の研究を行います。
- 財務部門: 自然関連リスクが財務諸表や企業価値に与える影響を評価し、リスク低減のための投資判断に関与します。TNFDなどの開示フレームワークに基づき、投資家向けの情報開示を担当します。
- リスク管理部門: 企業全体のリスクマトリクスに自然関連リスクを組み込み、他のリスク(気候変動リスク、地政学リスクなど)との関連性を評価します。
結論:組織全体での取り組みが企業レジリエンスを高める
自然関連リスクは、気候変動リスクと同様に、企業経営にとって不可避な課題となりつつあります。サステナビリティ推進部が旗振り役となることは重要ですが、その潜在的な影響範囲の広さを踏まえると、組織全体での取り組みが不可欠です。経営層の強力なコミットメントのもと、部門横断的な推進体制を構築し、共通理解の醸成、情報共有、そして評価・インセンティブの連動といった戦略を通じて、部署間の連携を強化することが求められます。
自然関連リスク管理を組織全体に浸透させるプロセスは、容易な道のりではないかもしれません。しかし、この取り組みは単なるリスク回避に留まらず、事業継続性の向上、新たなビジネス機会の創出、企業レピュテーションの向上、そして長期的な企業価値の向上に繋がるものです。全社一丸となって自然関連リスク管理に取り組むことが、不確実性の高い現代において、企業のレジリエンスを高める重要な要素となります。