生態系サービスへの事業依存度評価:リスク特定とレジリエンス強化に向けた実践ステップ
はじめに:事業と生態系サービスの不可分な関係性
製造業をはじめとする多くの企業の事業活動は、水資源、清浄な空気、安定した気候、肥沃な土壌、天然資源の供給など、自然界が提供する多様な「生態系サービス」に深く依存しています。これらのサービスは、原材料の調達、製造工程、輸送、そして最終製品の利用段階に至るまで、サプライチェーンのあらゆる段階において事業基盤を支える極めて重要な要素です。
しかしながら、生物多様性の急速な喪失や生態系の劣化は、これらの生態系サービスの安定供給を脅かしています。これは企業にとって、原材料価格の変動、サプライチェーンの寸断、事業所機能の停止、さらには市場からの信頼失墜といった、無視できない社会・経済的リスクとして顕在化しつつあります。
こうした背景から、自社の事業活動がどの生態系サービスにどの程度依存しているのかを体系的に評価することは、生物多様性関連リスクを特定し、事業のレジリエンス(回復力)を強化するために不可欠な取り組みとなっています。本記事では、生態系サービスへの事業依存度を評価するための実践的なステップと、その評価結果を経営に活用するための視点について解説します。
生態系サービスへの事業依存度評価の目的とメリット
生態系サービスへの事業依存度評価は、単に環境への影響を把握するだけでなく、企業の経営戦略に直結する多くの目的とメリットがあります。
- リスクの特定と優先順位付け: 依存度が高い生態系サービスが劣化した場合に発生しうる物理的リスク(例:水不足による工場停止)、移行リスク(例:関連する法規制強化や市場変化)、レピュテーションリスク(例:生態系破壊への関与による批判)などを具体的に特定し、事業への影響度に基づき優先順位を付けることが可能になります。
- 事業継続性の確保: サプライチェーン上流における自然資本の変化が、自社の原材料調達や製造プロセスに与える潜在的な影響を早期に把握し、代替策の検討やリスク分散といった事業継続計画(BCP)の策定に役立てられます。
- 機会の発見: 生態系保全・回復に貢献する技術やビジネスモデルの開発、あるいは自然を活用した新たな事業機会の創出といった視点を得ることができます。
- 経営層への説明: 専門的な生物多様性情報を、生態系サービスへの「依存」という事業活動との直接的な繋がりを示すことで、経営層に対してリスクと機会の重要性を分かりやすく伝え、経営判断に資する情報を提供できます。
- 情報開示への対応: TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)などのフレームワークが求める「自然関連のリスクと機会」の開示において、その根幹となる「依存と影響」の分析に不可欠な情報を提供します。
事業依存度評価の実践ステップ
生態系サービスへの事業依存度評価は、以下のステップで段階的に進めることが推奨されます。
ステップ1:評価範囲(事業部門、サプライチェーン段階)の特定
まず、どの事業部門、製品、あるいはサプライチェーンのどの段階(原材料調達、製造、物流、販売など)を評価対象とするかを明確に定義します。事業への影響が大きいと考えられる領域や、生物多様性ホットスポット(生物多様性が豊富で固有種が多い地域でありながら、危機に瀕している地域)に関連する活動などを優先的に対象とすることが一般的です。大手製造業の場合、サプライチェーン全体を対象とすることが理想的ですが、まずは自社の直接的な操業や主要な一次サプライヤーから着手することも現実的なアプローチです。
ステップ2:関連する生態系サービスの特定とマッピング
評価範囲で特定された事業活動が依存している、または影響を与えている可能性のある生態系サービスを特定します。生態系サービスは、供給サービス(食料、水、木材など)、調整サービス(気候調整、水質浄化、防災など)、文化的サービス(景観、レクリエーションなど)、支援サービス(土壌形成、栄養循環など)に分類されます。例えば、農産物を原材料とする食品メーカーであれば「食料の供給」「水資源の供給」「受粉」、工場排水を河川に排出する場合は「水質浄化」、製品輸送に海上輸送を利用する場合は「気候調整」といったサービスが関連します。特定した生態系サービスと事業活動の関係性を図などで可視化(マッピング)すると、全体像が把握しやすくなります。
ステップ3:事業活動と生態系サービスの依存関係の評価
特定された事業活動が、各生態系サービスにどの程度依存しているかを評価します。この評価は、定性的(依存度が高い/中程度/低いなど)または可能な範囲で定量的な指標を用いて行います。例えば、ある原材料の安定供給が特定の地域の水資源に完全に依存している場合、その事業活動の「水資源の供給」への依存度は「高い」と評価されます。複数の原材料がある場合、それぞれの依存度を合計したり、代替可能性を考慮したりすることで、より詳細な評価を行うことができます。このステップでは、事業プロセスに関する深い理解と、対象地域の自然環境に関する情報が必要となります。
ステップ4:依存度が高い生態系サービスに関連する生物多様性リスクの特定
ステップ3で依存度が高いと評価された生態系サービスについて、そのサービスが生物多様性の喪失や生態系の劣化によってどのような影響を受ける可能性があるのか、そしてそれが具体的に事業活動にどのようなリスクをもたらすのかを特定します。例えば、特定の水源への依存度が高い場合、その地域の森林破壊や汚染による水質・水量の悪化が、事業継続のリスクとなる可能性が考えられます。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)やIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)などの国際機関の報告書では、気候変動や生物多様性喪失が生態系サービスに与える影響について科学的な知見が提示されており、リスク特定の参考となります。
ステep5:評価結果の分析と優先順位付け
特定したリスクを事業への潜在的な影響度(財務的影響、事業中断のリスク、レピュテーションへの影響など)と発生可能性の観点から分析し、対処すべきリスクの優先順位を決定します。すべてのリスクに同時に対応することは難しいため、事業へのインパクトが大きく、発生可能性も高いリスクから優先的に管理策を検討することが重要です。
評価のためのデータとツール
依存度評価を進める上では、様々なデータソースやツールが活用されます。
- 公開データベース: 特定地域の気候データ、植生データ、水資源データ、種や生態系のレッドリスト情報などが、依存関係やリスクを評価する上で基礎的な情報を提供します。
- 地理情報システム(GIS): 事業所やサプライチェーン拠点と、水源、森林、保護区などの自然環境情報を重ね合わせることで、空間的な依存関係やリスクを視覚的に把握できます。
- 専門家による評価: 生態学、水文学、農業学などの専門家による知見は、複雑な生態系サービスと事業活動の依存関係を正確に理解するために不可欠です。
- フレームワーク: TNFDやNBS(Nature-Based Solutions)プロトコルといった既存のフレームワークは、依存度評価を含む自然関連リスク・機会の評価プロセスに関するガイダンスを提供しており、評価の質と一貫性を高めるのに役立ちます。WBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)やWEF(世界経済フォーラム)などのレポートも、関連情報の重要な参照元となります。
評価結果の活用:リスク管理と機会創出へ
依存度評価の結果は、単にリスクを把握するだけでなく、具体的な行動につなげるための重要な起点となります。
- リスク軽減策の策定: 依存度が高い生態系サービスに関連するリスクに対して、水使用量の削減、再生可能資源への転換、サプライヤーとの協働による生態系保全活動の支援など、具体的なリスク軽減策を策定・実行します。
- 機会創出: 生態系保全・回復への貢献が、新たな事業機会(例:持続可能な調達による製品差別化、生態系保全技術の開発)やコスト削減(例:水資源の効率利用によるコスト削減)につながる可能性を検討します。
- 情報開示: 評価プロセスと結果を、投資家やその他のステークホルダーに対する自然関連の情報開示(TNFD開示など)に反映させ、透明性と説明責任を果たします。
- 経営戦略への統合: 依存度評価から得られた知見を、長期的な経営戦略や投資判断に統合し、自然資本への配慮を持続可能な企業価値創造の基盤と位置づけます。
まとめ:レジリエントな事業構築のために
生態系サービスへの事業依存度評価は、生物多様性喪失が企業にもたらす具体的なリスクを特定し、将来にわたってレジリエントな事業活動を維持するための重要なステップです。この評価を通じて、自社の事業が自然界からの恵みにどれだけ支えられているかを深く理解し、その持続可能性への貢献を経営の根幹に据えることが、今後の企業にとって不可欠な要素となるでしょう。専門的な知見や既存のフレームワークを活用しながら、事業部門、調達部門、研究開発部門など社内外の様々な関係者と連携し、この評価を着実に進めていくことが求められています。