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生物多様性リスク管理への投資対効果(ROI)をどう示すか:経営層を説得するビジネスケース構築の視点

Tags: 生物多様性リスク, 経営戦略, 投資対効果, ビジネスケース, サステナビリティ, 企業価値向上

生物多様性リスク管理の価値を経営層に示す重要性

環境変化、特に生物多様性の喪失は、企業活動に多岐にわたるリスクをもたらすことが広く認識されるようになってまいりました。大手製造業においても、サプライチェーンの安定性、原材料の調達、法規制の遵守、そして企業レピュテーションに至るまで、生物多様性の状況は事業継続性と深く関わっております。

サステナビリティ推進部門の皆様におかれましては、これらの生物多様性関連のリスクを正確に評価し、適切な管理策を講じることの重要性を経営層に説明し、必要な投資を引き出すという重要な役割を担っておられることと存じます。しかしながら、生物多様性保全への取り組みは、その成果が長期的に現れることや、財務的なリターンが直接的に見えにくいことから、「コスト」として捉えられがちであり、投資対効果(ROI)の説明やビジネスケースの構築に難しさを感じていらっしゃるケースも少なくないかと拝察いたします。

この記事では、生物多様性リスク管理への投資が単なるコストではなく、事業の持続性と企業価値向上に不可欠な要素であることを経営層に効果的に示すための、投資対効果(ROI)評価とビジネスケース構築の視点について掘り下げて解説いたします。

生物多様性リスク管理への投資がもたらす多様な価値

生物多様性リスク管理への投資がもたらす価値は、単に環境保護に貢献するという社会貢献の側面に留まりません。それは、企業が直面する様々なリスクを回避・軽減し、同時に新たな事業機会や競争優位性を生み出す源泉となり得ます。これらの価値を網羅的に捉え、経営層に説明することが重要です。

具体的には、以下のような価値が考えられます。

これらの価値は、従来の財務指標だけでは捉えきれないものが多く含まれます。非財務的な価値や将来的なリスク回避による潜在的なコスト削減効果、機会創出による収益増加の可能性などを複合的に評価する視点が必要です。

「投資対効果」を多角的に捉えるフレームワークと視点

生物多様性リスク管理への投資対効果を説明する際には、短期的な財務ROIだけでなく、中長期的な視点や非財務的価値をどのように組み込むかが鍵となります。

自然資本プロトコルなどのフレームワークは、事業活動が生態系に与える影響(インパクト)と、企業が生態系から受ける恩恵(依存)を評価し、これらを経済的価値に換算する手法を提供しています。TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)のフレームワークでは、リスクだけでなく「機会」の特定と評価も重視されており、新しいビジネスモデルや技術開発、コスト削減といった機会をどのように捉え、財務的影響に結びつけるかのヒントが得られます。

例えば、以下のようなアプローチが考えられます。

これらの評価には、信頼できるデータソース(専門機関のレポート、学術研究、公的データなど)に基づいた科学的・技術的な知見が不可欠です。専門家との連携や、既存の評価ツール・データベースの活用も有効でしょう。

経営層を説得するビジネスケース構築のステップ

生物多様性リスク管理への投資の妥当性を経営層に効果的に説明するためには、論理的かつ説得力のあるビジネスケースを構築する必要があります。

具体的なステップとしては、以下が考えられます。

  1. 関連する生物多様性リスクと機会の特定・評価: 自社事業(オペレーション、サプライチェーン、製品・サービス)と関連性の高い生物多様性リスク(物理的、移行、レピュテーション、法規制など)や機会(新製品開発、コスト削減など)を特定します。TNFDのLEAPアプローチ(Locate, Evaluate, Assess, Prepare)など、既存のフレームワークや評価ツールを活用することが効果的です。
  2. 想定される対策内容とコストの特定: 特定したリスクや機会に対応するための具体的な対策(例: 持続可能な調達方針の導入、生態系回復プロジェクトへの投資、サプライヤー支援プログラムなど)を立案し、それに伴う初期投資、運用コスト、期間などを特定します。
  3. 対策によって回避されるリスクや創出される機会の具体化: 立案した対策によって、ステップ1で特定したリスクがどの程度低減されるか、あるいはどのような機会が具体的に生まれるかを明確にします。例えば、「持続可能な水利用技術導入により、〇〇地域での水不足リスクによる生産ライン停止リスクを〇〇%低減する」といった形で具体性を高めます。
  4. 効果の評価と財務・非財務指標での表現: ステップ3で具体化した効果を、可能な限り財務的・非財務的な指標を用いて評価・表現します。リスク回避による将来的なコスト削減額の推計、機会創出による売上増加やブランド価値向上への寄与、レピュテーションリスク低減による企業評価への好影響などを多角的に示します。中長期的な視点での価値(例: 10年後、20年後にもたらされる価値)を明確にすることが重要です。
  5. 経営層への説明資料の作成とストーリー構築: これまでの分析結果を基に、経営層向けの簡潔かつ分かりやすい説明資料を作成します。複雑な専門内容も、ビジネスにおけるリスクと機会、そしてそれらへの投資が企業価値向上に繋がるストーリーとして翻訳します。重要なポイントを絞り込み、視覚資料(グラフ、図解)を効果的に活用します。

ビジネスケースの構築においては、サステナビリティ部門単独ではなく、財務、調達、製造、研究開発、広報など、関連部署との密接な連携が不可欠です。各部署が持つ専門知識やデータが、より精緻で説得力のある分析を可能にします。

企業事例に学ぶ投資対効果の説明

特定の企業名を挙げることは避けますが、製造業における生物多様性関連の投資が、事業成果に結びついている事例は増加しています。

ある食品・飲料メーカーは、原材料調達地の森林破壊リスクを低減するために、サプライヤーへの技術支援や地域コミュニティとの協働プログラムに投資しました。この取り組みは、単に環境リスクを回避するだけでなく、サプライチェーンの安定化、良質な原材料の安定供給確保、地域住民との信頼関係構築による操業リスク低減、さらには環境配慮型ブランドとしての顧客からの評価向上に繋がり、長期的な事業レジリエンスとブランド価値向上に貢献しています。

また、ある化学メーカーは、工場排水による水生生態系への影響を低減するための高度な排水処理技術に投資しました。これは法規制遵守のためだけでなく、地域住民との軋轢解消、安定的な操業環境の確保、そして水処理技術に関する新たな事業機会の探索にも繋がっています。

これらの事例は、生物多様性への投資が、単なるコストセンターではなく、リスク低減、オペレーションの安定化、機会創出といった形で、企業のコアビジネス価値に貢献し得ることを示唆しています。

結論:事業の持続性と企業価値向上への投資として

生物多様性リスクの管理は、現代の企業経営において避けて通れない課題となっております。そして、その対応への投資は、単なる社会貢献活動やコンプライアンス対応としてではなく、企業の事業の持続性と企業価値向上に不可欠な戦略的投資として位置づけるべきです。

サステナビリティ推進部門の皆様におかれましては、生物多様性リスク管理への取り組みがもたらす多様な価値を、財務的・非財務的双方の視点から多角的に評価し、論理的かつ説得力のあるビジネスケースとして構築するスキルをさらに磨いていくことが重要になります。複雑な専門情報をビジネスインパクトに翻訳し、経営層を含む社内外のステークホルダーにその重要性と投資対効果を明確に伝えることで、企業全体としての自然関連リスクへの対応力を高め、持続可能な事業成長を実現していただけることを期待いたします。