資金調達における生物多様性リスクの評価基準:金融機関の視点と企業が示すべき情報
はじめに:資金調達における生物多様性の重要性の高まり
近年、グローバルな環境変化、特に生物多様性の喪失は、気候変動と同様に、企業の事業活動やサプライチェーンに重大なリスクをもたらす要因として認識されるようになってきました。このような背景の中、金融機関は投融資判断において、企業の生物多様性への取り組みや自然関連リスクの管理状況を評価する動きを加速させています。
これは、生物多様性に関連するリスクが、金融機関自身のポートフォリオリスク(信用リスク、市場リスク、オペレーショナルリスク、レピュテーションリスクなど)に直接的または間接的に影響を与える可能性があるためです。例えば、生態系サービスの劣化は、企業活動に必要な原材料の調達難、操業停止、資産価値の低下を招く物理的リスクとなり得ます。また、法規制の強化や消費者意識の変化は、事業モデルの陳腐化やブランドイメージの低下を引き起こす移行リスクやレピュテーションリスクとなり得ます。これらのリスクは、企業の収益性や財務健全性に影響を与え、結果として融資の回収可能性や株式・債券の価値に影響を及ぼします。
このように、生物多様性への配慮は、単なるCSR活動ではなく、企業の財務健全性や将来の成長性を評価する上で不可欠な要素となりつつあります。サステナビリティ推進部の皆様におかれましても、自社の生物多様性リスクが資金調達にどのように影響するかを理解し、経営層や財務部門に対してその重要性を説明することが求められています。
本稿では、金融機関が生物多様性リスク・機会をどのように評価しようとしているのか、企業は金融機関に対してどのような情報を示すべきなのか、そしてこれが企業の資金調達にどのような影響を与えるのかについて解説します。
金融機関における生物多様性リスク・機会の評価視点
金融機関は、自らの事業(融資、投資、保険など)を通じて、自然関連リスクや機会に晒されています。これらのリスクを管理し、機会を捉えるために、金融機関は投融資先の生物多様性への取り組みを評価する枠組みを構築し始めています。その評価視点は多岐にわたりますが、主な点を以下に示します。
1. ポートフォリオレベルでの評価
金融機関は、投融資ポートフォリオ全体が抱える自然関連リスクを分析します。特定のセクター(農業、林業、水産業、製造業など、生物多様性への依存度・影響度が高いとされる産業)へのエクスポージャーや、特定の地理的エリア(生物多様性のホットスポット、水ストレスの高い地域など)に位置する投融資先の割合などを評価します。これには、地理情報システム(GIS)データや生態系サービス評価ツールなどが活用されることがあります。
2. 投融資先企業レベルでの評価
個別の企業に対する投融資判断では、その企業の自然関連リスク・機会への対応状況が詳細に評価されます。具体的な評価基準としては、以下のような点が挙げられます。
- ガバナンス体制: 経営層の関与、担当部署の設置、生物多様性に関する方針や戦略の有無。
- リスク・機会の特定と評価: TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)などのフレームワークに沿った、自社の事業活動、バリューチェーンにおける自然関連リスク・機会の特定・評価プロセスが確立されているか。特にサプライチェーン upstream/downstream における依存度・影響度の評価は重要視される傾向にあります。
- リスク管理: 特定されたリスクに対する管理策や低減策が実行されているか。環境影響評価の結果に基づく対策、持続可能な資源調達方針、汚染防止策など。
- 目標設定とモニタリング: 生物多様性に関する具体的で測定可能な目標(例:SBTNに準拠した目標)を設定し、その進捗をモニタリング・評価しているか。
- 情報開示: 自然関連リスク・機会、取り組み状況に関する情報開示を積極的に行っているか。TNFD提言に沿った開示は、金融機関の評価を大きく左右します。
3. 機会への着目
リスク管理だけでなく、生物多様性の保全・回復に向けた取り組みが、新たな事業機会(例:生態系に配慮した製品・サービスの開発、環境技術の導入、新たな市場の開拓)に繋がっているかどうかも評価の対象となります。これらの機会を捉え、ビジネスモデルに組み込めている企業は、将来的な競争力の向上や企業価値の増大が期待できると見なされます。
企業が金融機関に示すべき情報
金融機関が上記のような評価を行うためには、企業からの信頼できる情報開示が不可欠です。企業は、自社の自然関連リスク・機会への対応状況について、透明性をもって情報を提供する必要があります。具体的に金融機関が関心を持つ情報は以下の通りです。
- 自然関連リスク・機会に関する方針と戦略: 経営戦略における生物多様性の位置づけ、関連するコミットメントや目標。
- リスク評価プロセスと結果: バリューチェーン全体における依存度・影響度評価の結果、特定された主要な物理的・移行リスク、それらの事業への潜在的影響(財務影響含む)。
- リスク管理および低減策: 主要リスクに対する具体的な対策、サプライヤーとの連携、環境パフォーマンスデータ(水使用量、排出物、土地利用の変化など)。
- 目標と進捗: 設定した目標(ネイチャーポジティブ貢献など)に対するKPI設定と、それらの進捗状況を示すデータ。
- ガバナンス体制: 自然関連課題に関する経営層の監督体制、担当役員や部署、従業員の役割と責任。
- 関連フレームワークへの準拠状況: TNFD、TCFD、SBTNなどの国際的な情報開示・目標設定フレームワークへの対応状況。
これらの情報は、統合報告書、サステナビリティレポート、企業のウェブサイトなど、信頼できるチャネルを通じて開示されることが望ましいです。特にTNFDフレームワークに沿った開示は、金融機関が求める情報要素を網羅しており、評価の円滑化に繋がります。
資金調達への影響
金融機関による生物多様性リスク評価の高まりは、企業の資金調達に複数の影響をもたらします。
- 資金アクセスの変化: 自然関連リスク管理が進んでいない企業は、融資を受けることが難しくなったり、より高い金利を求められたりする可能性があります。逆に、積極的な取り組みを行っている企業は、グリーンローンやサステナビリティボンドといった新たな資金調達手段を利用しやすくなります。
- 資金コストの変化: リスク管理体制が整っている企業は、デフォルトリスクが低いと判断され、資金コスト(金利や保険料)が低減する可能性があります。
- 投資家からの評価: 株式市場では、生物多様性への対応状況が投資判断の一要素となりつつあります。ESG投資の拡大に伴い、自然関連リスクへの対応が不十分な企業は、投資家からの評価が低下し、株価に影響が出る可能性があります。
- レピュテーション: 金融機関との対話や情報開示を通じて、生物多様性への取り組みが外部に伝わることで、企業のレピュテーション向上に繋がります。これは資金調達だけでなく、顧客や従業員からの評価にも良い影響を与えます。
今後の展望と企業が取り組むべきこと
金融機関による生物多様性リスク評価は、今後さらに高度化・標準化されていくと予想されます。政策動向(例:生物多様性国家戦略、欧州連合のタクソノミーなど)や国際的な開示フレームワーク(TNFDなど)の進化が、金融機関の評価基準にも反映されていくでしょう。
このような状況を踏まえ、大手製造業のサステナビリティ担当部署としては、以下の点に取り組むことが重要です。
- 自然関連リスク・機会の社内評価の深化: 自社およびサプライチェーン全体における生物多様性への依存度・影響度、そして潜在的なリスク・機会を、より網羅的かつ定量的に評価する能力を高める。
- 情報開示体制の強化: TNFDなどのフレームワークを参照しつつ、金融機関を含むステークホルダーが必要とする情報を網羅的かつ信頼性の高い形で開示するための社内体制を構築する。財務部門やIR部門との連携が不可欠です。
- 金融機関との対話: 自社の生物多様性への取り組みやリスク管理状況について、主要な取引金融機関と積極的に対話を行い、理解を深めてもらう機会を持つ。
- 経営戦略への統合: 生物多様性への取り組みを、単なるリスク回避やコンプライアンス対応ではなく、企業の長期的な競争力強化や新たな事業機会創出に繋がる戦略的な要素として位置づけ、経営層への説明責任を果たす。
生物多様性への配慮は、持続可能な事業活動の基盤を強化し、変化の激しい時代における企業のレジリエンスを高める上で不可欠な要素です。金融市場からの評価の高まりは、この重要性をさらに加速させるでしょう。適切なリスク評価と情報開示を通じて、有利な資金調達環境を確保し、企業価値の向上に繋げていくことが求められています。